60 盆も正月もなく研究

 南島の民俗学研究に尽力した下野敏見先生が亡くなりました。92歳でした。鹿児島市内で3月に営まれた葬儀の会場には「種子島碑文集」「種子島の民話」など数多くの著作が並び、偉業をしのばせていました。
 教員として初めて赴任した種子島で、種子島高校など二つの高校に計15年間勤務するうちに民俗学の世界に魅了され、その道一筋の人生でした。本市の市立種子島博物館や後身の種子島開発総合センター(鉄砲館)の開設にも多大な貢献をされました。膨大な収集資料、写真を基にした著作も刊行途中です。
 下野先生といえば、私がまだ新聞記者だった13年前、「ヨンシー踊り」の取材を思い出します。歌詞に琉球風の言葉が多いことに着目され、沖縄の民俗調査に訪れた際、「ヨイシーヨイシー」と歌う木遣り歌「国くんじゃん頭サバクイ」がルーツと突きとめたそうです。
 18世紀の首里城の改修時に山から木を切り出して運ぶときの「ヨイショヨイショ」という掛け声が歌われたといわれます。民謡酒場を何軒も訪ね、ビール一本で粘って歌を聴き続けたという思い出話から、足で稼ぐ研究態度に接し、職業柄、親近感を覚えました。
 半農半漁の庄司浦の男たちは藩政時代から明治期にかけて琉球交易船の乗組員となり、琉球旅で覚えた歌を土産にもち帰り、風本神社の祭りで奉納するようになりました。
 そうした伝統行事の調査に没頭し、先生は盆や正月、自宅に姿がなかったそうです。今年、中種子町出身の妻フタミさんの3回忌でしたが、「113歳まで生きる」と旺盛な研究心は衰えていませんでした。市史編さんに力を借りているさなか、感謝と痛惜の念は尽きません。

遺影のそばに並べられた著作