57 先人が示す国際友好

 鉄砲館で開催中の「九七艦攻展」に特攻機のコクピットで見つかった鉛筆2本が展示されています。若き搭乗員が訓練や通信を記録したものでしょうか。黒い芯を包む白木の部分も割れて黒ずんでいます。海中深く、長い歳月を耐えて残された、奮闘の遺品です。
 九七式艦上攻撃機は1941(昭和16)年の真珠湾攻撃で出撃しており、太平洋戦争を想起させますが、日米といえば、種子島は友好の記憶が先行します。1885(明治18)年、米国商船カシミア号の漂着船員を島民が救助し、大統領から感謝金やメダルが贈られました。伊関では今年も9月、顕彰碑前で日米の国旗を掲げて紀徳祭が開かれ、地元伊関小学校の児童たちも参加しました。
 国際友好の歴史をいえば、50年前の1972(昭和47)年2月、ニクソン米大統領が訪中し、東西冷戦下の世界を驚かせました。5月に沖縄の施政権が返還され、屋良朝苗・初代沖縄県知事の当選。9月には田中角栄首相が訪中し、日中の国交が回復したこの年、大学に進んだ私も中国語を学ぶほど、全国に親中ムードが広がります。アルバイトで旅費をつくり初めて訪ねた外国は米国です。勤めた新聞社では、先輩から就職の動機を「二度と戦争をしないため」と聞きました。
 さて、最近のニュース報道では、「台湾有事」想定のもと、米軍のほかフランスやイギリスの軍艦がアジア近海にやってきました。中国の軍艦が太平洋に進出するなどの動きに呼応しているとされます。どこか、昭和初期のABCD包囲陣、米英中蘭4カ国による対日経済封鎖網の緊張した情勢に似ていないでしょうか。
 米中対立が盛んにいわれ、国内で好戦的な空気をあおるような風潮には危うさを感じます。新年を迎え、日本に求められる役割は何だろうと思案しています。

日米両国の国旗を掲げた紀徳祭