56 甲女川のイトヤシ

 今年10月に百歳を迎えた西町在住の荒木政雄さんは、鴨女町の甲女川河畔にそびえるイトヤシ並木を50年以上前に植樹した思い出があります。
 1964(昭和39)年の東京オリンピックの後、「体育の日」(現スポーツの日)ができたのがきっかけでウオーキングを始めたそうです。市内を巡り歩きながら坂道を下っているとき、甲女川の河口付近を殺風景に感じたのがきっかけでした。
 高度成長期に入り、各地で観光地を演出する動きが盛んな時代でした。荒木さんは当時、市役所に務めて観光担当で、「甲女川の川面にヤシが映ったら、南国らしくていいんじゃないかな、と。県が植栽を奨励しているころで、補助金もあるから、と始めたわけです」。 
 68年春、苗木は長さ1・5メートルくらい。もともと砂地だったので、土手に客土をして土壌を改良し、バケツで水やりを充分に世話すると、生長の早いイトヤシは翌年にはしっかりと根づき、「いつ枯るんどーかいな」と冷ややかな声もあった地元から「こいで鴨女町が、わざい良うなった」と感謝されたと語ります。
 「今、心配は、あまり伸びすぎて、台風で折れたら困るから、間にビロウを植えたらどうかなあ」
 荒木さんは幼い頃に大病をしましたが、戦争では水兵としてソロモン海戦に加わったそうです。ふだん、何気なく見ている並木に、昭和、平成、令和にわたって生きてきた大正人の苦労話がありました。
 大戦末期、近隣海域で敵に沈められた艦船の兵が多数、遺体で流れ着き、川の近くで荼毘に付されたこともあります。かつてあったアーチ型の天神橋は架け替わり、河口周辺は治水工事が進んでいますが、人々の心を癒やす穏やかな風景を保っていきたいものです。

甲女川の河口にそびえるイトヤシ並木