52 特攻しのぶ九七艦攻

 種子島北端の喜志鹿崎沖から引き揚げられた九七式艦上攻撃機の機体が7月、一般公開されました。尾翼に「一二型」「號」の文字があり中島飛行機製造とわかりましたが、機体番号などは見つからず、搭乗員の特定はできていません。一方、鉛筆や工具のほか尾翼部分が見つかり、今後の詳細調査に期待がかかります。
 喜志鹿崎には日本軍の砲台跡が今も残り、昭和20年3月以降の米軍機による空襲や、日本軍特攻機の不時着などの話が数多く語り継がれています。
 地元漁師の証言を基にダイバー林哲郎さんらが海底の捜索を始め、平成27(2015)年秋、砂に埋もれた機体を見つけます。市も協力して平成30年から潜水調査をし、特攻機乗員の遺骨が残る可能性から厚生労働省が加わりました。別の証言により馬毛島での遺骨収集事業も実施され、中世の人骨が埋葬された馬毛島葉山王籠遺跡の発見につながっています。
 そして、新型コロナウイルス感染症などの影響で2年間保留された調査がこの6月、2週間にわたって実施されたのです。現場は潮の流れが急で日本戦没者遺骨収集推進協会(会長・尾辻秀久参院議員)と厚労省の調査団の作業が難航する中、地元の藤田建設興業の起重機船による慎重な引き揚げに成功しました。
 沖縄への途中、種子島に不時着した特攻機九七艦攻の例はほかにもありますが、現存する機体としては国内唯一だそうです。ひしゃげたパイロットの座席、革ベルト付きのペダル、操縦桿かん、浮き袋に人間の気配が残り、なぜ、どうやってこんな形で遺されているのか、解明が待たれます。
 機体は、海軍航空隊のあった大分県宇佐市に移される予定です。本市も調査時の映像を基に、3D(3次元)のフォトグラメトリによる展示などの利用を検討しています。

水平尾翼に残る「一二型」「號」の文字