37 日本一の走り新茶

 番屋峯の茶畑が3月末から4月にかけて、一番茶の摘み取り作業でにぎわいました。日本一早い「走り新茶」です。
 一斉に伸びた新芽は陽光に輝き、製茶工場には、蒸し、乾燥に進む新茶の香りがあふれました。
 番屋峯は標高250m前後と、種子島の背骨のような高台にあり、寒暖の差が大きく、茶の栽培に適した地域とされています。集落中心部にある公民館わきに「茶業記念之碑」が移住記念之碑、移住百周年記念之碑と並んで立っています。最も古い茶業記念之碑は昭和25(1950)年の建立で、公選初代の鹿児島県知事重成格氏の揮毫によります。
 碑文によると、初代熊毛郡長(今の熊毛支庁長)だった牧野篤好氏が郷里静岡に帰り、種子島が茶業の適地であると茶業経営者に推奨したため、明治43(1910)年、松下助七、栗田茂三郎、松下清作の3氏が静岡から移住し、山林を開拓したのが熊毛地域での製茶業の始まりです。
 入植当初は、サルやイノシシ、シカが棲む原生林だったそうです。
 その後、全国でも優秀茶業地区と目されて視察団が訪れ、県下茶園の育成、製茶技術向上に寄与しました。「番屋峯一帯の茶業が本県茶業の支柱として茶業振興に裨益した功績は大きい」「茶業創始の先達並びに番屋峯を中心として茶業振興に尽力した人々の功績を広く県下内外に顕彰」すると、碑文はつづります。
 ペットボトルが普及する近年、リーフ茶の需要低下、直近では新型コロナウイルス流行の影響もあり、お茶をとりまく情勢は厳しさが続きます。それでも、先人が切り開いた「種子島茶」は、生産農家の大きな誇りであり、ともに盛り上げていきたいと思います。
 
ochabatake

一番茶の摘み取りが進む番屋峯