36 トーチカと標的

 馬毛島の岳之腰(標高71メートル)に日本海軍が1941(昭和16)年12月、真珠湾攻撃の1週間後にトーチカの建造をはじめ、翌年2月に完成させました。
 何のために建てたのか。塰泊出身の郷土研究家坂中睦男さん(故人)は著書「想い出の馬毛島」で、古老たちによる爆弾投下訓練の目撃談を記しています。
 「飛行機は硫黄島方面からトーチカに目掛けて、低空飛行で山腹に衝突するかと思われる位まで突っ込み、急上昇する訓練を毎日していた」「訓練は二人乗りの飛行機が主であり、顔が見える位にまで低空飛行し、地面に描かれている目標の円に模擬爆弾を投下」
 円筒形のトーチカの壁は部厚いコンクリート、出入り口に鉄の扉があり、鉄格子窓が3つ南を向いています。摸擬弾投下の「標的」がその方向にあったのです。
 今年3月、地面に描かれた標的を確認することができました。島内に計5か所ある漁港、港湾の施設点検で市職員とともに上陸した際のことです。直径100メートルと50メートルの同心円がコンクリートで設けられ、中心から半分以上は、造成された「南北路」南端の土盛りの下に隠れ、一部が地面に現れていました。
 トーチカと標的はセットで、全国的にも貴重な戦争遺構とみられます。戦後、トーチカはトビウオ漁で重要な働きをしました。旗や灯りを掲げ、産卵に群れ寄るトビウオの位置を海上の漁船団に知らせたそうです
 トーチカの窓脇には、弾痕が生々しく残っています。弾丸が鉄の窓枠をゆがめ、壁をえぐり、深い穴ができています。戦時中、米軍機の銃撃を受けたといわれます。
 本市は令和元年度から5年間の計画で、「西之表市史」編さんに取り組んでいます。馬毛島の歴史を記すにあたっては、トーチカも標的も、専門家による調査と記録、保存が必要だと感じています。
トーチカに残る弾痕=馬毛島・岳之腰

トーチカに残る弾痕=馬毛島・岳之腰