35 古市静子の歌碑

 わかさ公園に「黎明」と刻まれた石碑があります。

 西之表市に生まれ、日本の幼児教育の草分けとなる幼稚園を東京で創設した古市静子(1847〜1933)を顕彰しようと昭和42(1967)年に建てられました。碑文の起草者は種子島家譜の和訳者で歌人の鮫島宗美氏です。
 「先生英邁、敢為男子を凌ぐ、」と始まる文は、勇ましくも波瀾万丈の生涯を短文でつづり、次の様に続きます。「慶應三年出奔、果たさず、明治六年遂に上京、お茶水師範入学、一時帰島、十四年再び上京、十九年駒込幼稚園開設、これ実に日本幼稚園の濫觴たり、後に大森幼稚園となる、昭和三年天盃拝受、八年没、八十六歳、種子島に葬る。」
 「種子島の人」(柳田桃太郎著、1975年刊)によると、静子は、女子の勉学が重視されなかった当時、裁縫、生け花などのけいこをさせられるのが不満で、弟の四書五経の本を借り家族が寝静まった夜に勉強しました。離郷を決意し、大阪に船出し暴風に遭って舞い戻ったり、東京をめざした東海道の宿で盗難にあったり。文部大臣を務めた森有礼との親交もありました。
 死後30余年を経た昭和41年、幼稚園の創立80周年記念式典が開かれ、出席した西之表市の教育長の報告から顕彰碑建立の気運が盛り上がり、名越不二郎市長が実行委員長となって協賛金を集めたそうです。
 歌碑が並び立ち、次の一首が記されています。
  いつしかに八十路の坂をこえにけり
   神のめぐみの杖にひかれて
 晩年、余人には奔放と映る人生を顧み、信仰の中に感謝と安堵の思いをこめて歌っています。

顕彰碑と歌碑=わかさ公園

顕彰碑と歌碑=わかさ公園