31 能野焼の輝き(2019年11月号)

 種子島を訪れる人々の中で、能野焼を「よきのやき」と正しく読んでくれる人は、なかなかいません。かねてから口惜しく思う中、株式会社ユニケミーが島内五つの窯元と焼き物の歴史を紹介する「種子島 古窯めぐり」と題したリーフレットを制作し、西之表市と種子島観光協会に寄贈しました(本号4ページ参照)。
 能野焼は、江戸期頃から明治期まで住吉の能野で焼かれました。起源は、1.豊臣秀吉の朝鮮出兵で出陣した種子島家16代島主久時が伝えた2.薩摩の陶工が琉球からの帰路、種子島に住みつき窯を開いた3.薩摩の苗代川から渡来した、などの説があるようです。
 能野焼といえば、東京出身で種子島に移り住み、種子島や屋久島をめぐる小説を著した作家、家坂洋子さん(1928〜2011)の短編「窯ぐれ作次郎」を思い出します。16世紀末の文禄年間に唐津から苗代川を経て能野に渡ったという設定の陶工が主人公で、能野焼の歴史がしのばれる作品です。
 現代では、能野焼を「幻の名器」として珍重する愛好家も少なくなく、一部作品と窯跡は市指定文化財になっています。途絶を惜しんで1971年、復興を視野に有志が唐津の陶芸家を能野に招いて窯を開いたこともあり、以来、「種子島焼」の呼び名も使われます。
 島内の窯元は戦後の最盛期には12を数えたものの、今は市内に五つ。それぞれ個性的な作風ですが、鉄分の多い陶土を焼き締めた風合いは、暗褐色を基調に素朴で重厚な能野焼の輝きを受け継いでいます。
 島の陶芸隆盛を願う私は、今回のリーフレットによる応援に感謝しつつ、焼き物を「ふるさと納税」の返礼品として宣伝活用し、産業振興に努めます。

種子島産の壺をヴィラ・ド・ビスポ市長に贈呈

種子島産の壺をヴィラ・ド・ビスポ市長に贈呈