現在の位置

史跡・文化財スポット

種子島開発総合センター(鉄砲館)

 異国の南蛮船をイメージした外観が目を引く、種子島のすべてがわかる総合博物館です。ここでは、種子島の歴史・自然・民俗・文化など種子島のすべてを知ることができます。

 特に、戦国時代、日本に初めて伝わったポルトガル初伝銃、国産第1号と伝えられている火縄銃をはじめ、国内外の旧式銃約100丁が展示されていることから、「鉄砲館」と呼ばれ、親しまれています。

たねがしまかいはつそうごうせんたーてっぽうかんがいかんのしゃしん
  • 開館時間:8時30分~17時(但し、入館は16時30分迄)
  • 休館日:毎月25日(7月、8月は除く)、年末年始(12月30日~1月2日)
  • アクセス:西之表港から徒歩10分
  • 電話番号:0997-23-3215

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赤尾木城文化伝承館 月窓亭「あかおぎじょうぶんかでんしょうかん げっそうてい」 (種子島家住宅)

  種子島家住宅は、羽生家(羽生家は、種子島家の家老で養蚕業の普及や「種子島家年中行事」を編集した羽生道潔や、大日本池坊総会頭職を務めた羽生道則(慎翁)などを輩出した名だたる名家です。)の屋敷として江戸後期に建てられ、明治以降においては、歴代種子島家島主が居住していた屋敷です。 

 かつて、ここでは武道や茶道、華道、礼法などの修業が盛んに行われました。

 現在は 西之表市の文化財に指定され、平成22年4月から一般公開を開始し、おもてなしの場・癒しの場として、西之表の新しい観光スポットとして親しまれています。

 

げっそうていがいかんのしゃしん
  • 開館時間 :9時~17時(ただし、入館は16時30分まで)
  • 休館日: 毎月25日(ただし7・8月は除く)、年末年始(12月29日~1月3日)
  • 電話番号 0997-22-2101
  • アクセス:種子島開発総合センター(鉄砲館)から徒歩5分)西之表港待合所から車で5分

 

栖林神社(せいりんじんじゃ)

せいりんじんじゃのしゃしん

 本源寺隣に位置する、19代島主「種子島久基」を祭った神社です。
 久基は名君の誉れ高き人物で、「からいもの神様」と呼ばれており、その徳を偲んで創建されました。神社の名前は、彼の晩年の号「栖林」に由来しており、毎年正月、一年の平安を祈念して、直径150センチメートルの大きな的を弓で射る「大的始式」という行事が栖林神社弓場で催されています。

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種子島家墓地

おぼうぼちのしゃしん

御坊墓地 

 ここは、島主種子島氏の最初の墓地である。初代から数代の墓は、所在・刻字も不明であったので、第23代久道夫人松寿院が、初代信基から4代真時までを一基にまとめ、法号を刻み詣り墓とした。武将第16代久時、鉄砲伝来の第14代時尭の墓などがある。この周囲に、入島当時の家臣20家の墓がある。

おはーとーぼちのしゃしん

御拝塔墓地

 第11代時氏が法華宗の本願寺を建て、これを菩提寺としてから、その隣接地を代々島主の2番目の墓所と定めた。第12代忠時、第14代時尭、第16代久時、第18代久時、第19代久基、松寿院、永俊尼などの墓碑は、それぞれ、その功績、遺徳、悲劇を物語っていて、種子島の歴史をしのぶのに感慨深いものがある。

赤尾木城跡

赤尾木城跡

  種子島島主・種子島家の居城の跡です。1624年に第17代島主「忠時」が、内城(現在の榕城中学校)からここに城を移しました。赤尾木(アコウの木)が生い茂っていたことから、こう呼ばれるようになったと伝えられています。明治の版籍奉還まで、ここは島主の居館でしたが、現在は榕城小学校になっています。

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日本甘藷栽培初地之碑

日本甘藷栽培初地之碑

 種子島は日本で初めてサツマイモを栽培した地であり、それを顕彰し、西之表市石寺海岸の国道58号線沿いにこの記念碑は建てられています。そのきっかけは、1698年、種子島久基が、島の貧しい人々の救済事業として始めたもので、琉球王に懇請して一籠貰い受けた甘藷を、家臣に命じて栽培させたことによります。その後、サツマイモは日本全国に伝播していきました。

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わかさの墓

わかさのはかのしゃしん

 鉄砲をつくった刀鍛冶「八板金兵衛」の娘「わかさ」が、この墓に眠っているといわれています。「わかさ」には、父が鉄砲技術を教えてもらうことと引き換えに、ポルトガル人のもとに嫁いだという伝説が残っています。この墓の傍らには、ここを海音寺潮五郎が訪れたときに詠んだ歌碑も建てられています。

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カシミア号乗組員救助に関する石碑

 明治18年9月12日、米国の帆船カシミア号が、種子島の東南海上で難破し、立山と伊関の海岸に漂着しました。この時、地元の人たちの手厚いもてなしにより、漂着者は無事帰国することができました。この厚意に、米国市民及び政府は感謝の意を表し、金メダルと金子25ドル、さらに5,000ドルを贈りました。カシミア号乗組員救助に関する石碑は、伊関校区・安城校区・立山校区にあり、現在でも紀徳祭などが行われています。

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種子島時堯公像

たねがしまときたかこうのどうぞうのしゃしん

 1543年(天文12年)14代島主種子島時堯はポルトガル人から購入した鉄砲で初の国産銃製造に成功した。日本の歴史を大きく変えた鉄砲の先駆者である。

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八板金兵衛清定像

八板金兵衛像のしゃしん

 ポルトガル人から鉄砲製造技術を学び、国産第1号の火縄銃を製造した功績を称えて建てられた銅像です。

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この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課文化財係(種子島開発総合センター鉄砲館)
電話番号0997-23-3215
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