42.日典上人法華弘法並びに法難の地

にってんしょうにんほうなんのちのしゃしん

・種別

 史跡

・指定年月日

 昭和46年5月13日

・所在

 日典寺内及び川迎蔵野

 

 

 日典上人は下西川迎に生まれる。慈遠寺、奈良興福寺に律宗を学ぶ。帰途、尼崎本興寺の日隆上人に師事、法華宗を修業すること十余年。ついに大本山の管長となる。

 上人はこの要職も振りすてて帰郷、熱烈に法華宗の布教にあたったが、律宗信者の迫害は強く、ついに寛正4年4月21日の夜に、桟敷ヶ丘下の浜辺で残虐きわまりない仕打ちにあい、殉教した。これにより、三島法華の基礎が築かれた。

 殉教の地には供養碑、桟敷ヶ丘には日典廟、日典寺、生まれた川迎蔵野には誕生地の碑がある。

にってんしょうにんおびょうのしゃしん

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