21 天囚と師豊山(2019年1月号)

 大阪大学大学院の湯浅邦弘教授ら「懐徳堂」研究者が榕城小学校を訪れたのは2018年夏でした。校庭の隅にある前田豊山(1831~1913)の紀徳碑を見るためでした。豊山は種子島家に仕えた学者で、家老も務めました。明治維新後は榕城小の前身、第73郷校の学頭となる優れた教育者で、校舎には豊山の教え「人無信不立 慎規律厳礼儀」の言葉が「榕城魂」として掲げられています。
 「人、信無くば立たず」と論語を引き、「規律」「礼儀」を加えて青少年を指導しました。
豊山の一番弟子ともいえる西村天囚(1865~1924)の「誕生之地」碑が鉄砲館の庭に立っています。館内に展示されている「鉄砲伝来物語」のジオラマには天囚の先祖、西村織部丞時貫が登場します。時貫は1543(天文12)年、漂着船でポルトガル人と共に上陸した中国人と、砂浜で筆談を交わした武士です。
 12月に大阪で開かれたシンポジウムで、私は種子島を紹介する機会を得たので、鉄砲伝来とロケットの種子島宇宙センター、景勝地、特産品、伝統芸能など、スライドを使って種子島の歴史と文化、自然、さらに移住者の奮闘もあって栄えてきた風土を語りました。
 その中で、豊山が版籍奉還に際し西郷隆盛と会談した逸話、朝日新聞の主筆も務めた天囚が明治天皇崩御時の追悼記事を執筆した際のエピソードを紹介しました。師弟関係にある二人は種子島が輩出した偉人ですが、今は大人でも知る人は少なくなっています。
 先人の業績を知り伝える行動から、未来に挑む知恵と勇気をつかむことができます。歴史と文化を学び、郷土を誇る精神を次世代に引き継ぎたいと思います。

「鉄砲館」の鉄砲伝来ジオラマ

「鉄砲館」の鉄砲伝来ジオラマ