18 馬毛島漁区記(2018年10月号)

 夏休みの7月23日、馬毛島に西之表市内の小学5、6年生10人が上陸しました。子供たちの体験活動に同行した私は、その数日前の葬儀を思い起こしました。
 88歳で亡くなった女性の告別式でした。馬毛島生まれで、喪主である息子が参列者への御礼に立ち、手にしたメモを読み終えると、「母と言えば、やはり馬毛島です」と言うなり絶句したのです。間もなく顔を上げ、言葉を続けました。
 「夏はブト(テングサ)とり、冬はカライモ、オーギ(サトウキビ)。母は、朝から晩までよく働きました。自分(子供)たちのために……」
 馬毛島は、農地開拓最盛期の昭和三〇年代に人口528人を数えました。この一家が住んでいたのもその頃です。住民の暮らしの痕跡は今も随所に残ります。
 明治時代に建立された「馬毛島漁区記」碑は葉山港わきにあり、種子島家が鎌倉時代に十二島を領地としてからの歴史を綴ります。大陸との交流による発展を図るために家臣が航海術を学び、浦人も船乗りを務めたこと。海の非常時に働いた浦々に「漁区」が許され、浦人は小屋をつくり、波止を築き、家族ぐるみで移住して、漁と海藻とりの時季に数か月を過ごしたこと……。
 体験活動の小学生たちは、マゲシカをはじめとする動植物の自然にふれ、市道馬毛島1号線を経て旧馬毛島小中学校校舎、高坊港に面した洲之崎小屋(漁業集落)跡を自分の足と五感で確かめました。
 参加児童全員が、宿題の感想文を仕上げました(概要は西之表市ホームページに掲載)。ある六年生は「馬毛島で経験したことを友達に伝えたりして、馬毛島のことをみんなに知ってもらいたいです」と書いています。馬毛島を通して郷土の歴史を伝える責任を、少しは果たせたかなとホッとしました。

「馬毛島漁区記」碑と参加児童ら

「馬毛島漁区記」碑と参加児童ら