16 ロケット50年(2018年8月号)

 市民講座「種子島大学」の第1回講座が7月に種子島宇宙センターで開かれ、藤田猛所長が「種子島宇宙センターとロケット 50年の歩み」と題し、島内1市2町から応募した約40人の学生らに歴史を語りました。
 種子島初のロケット打ち上げは1968(昭和43)年9月です。竹崎射点から上がったSB‐2.A9号機は全長2・78メートル、直径16センチ、重さ69キロでしたから、現在のH‐2.B(全長56・6メートル、直径5・2メートル、重さ531トン)は、50年前の20倍以上の大きさです。
 翌69年に発足した宇宙開発事業団(NASDA)は、国の研究機関だった航空宇宙技術研究所(NAL)と、東大を母体とした宇宙科学研究所(ISAS)との3機関が2003(平成15)年に統合され、現在の宇宙航空研究開発機構(JAXA)となりました。
 種子島宇宙センターの面積は9平方キロ。404平方キロの米国ケネディ宇宙センターよりはるかに小さいけれど、世界一美しく、世界最高水準の打ち上げ成功率を誇ることを力説しました。
 講義後は、初期の竹崎射点、国産技術確立期の大崎射点、大型ロケットが発射される吉信射点や指令管制室などを見学しました。敷地内には「大崎集落移転記念碑」があり、射場建設により移転を決断した11戸、49人の地元住民の心情をしのびました。
 火縄銃国産化とロケット開発を引き合いに種子島を「日本の技術の玄関口」と評する藤田所長は、2015年のカナダの商業衛星打ち上げチーム来島に触れました。長丁場の準備で緊張の日々が続く中、島人ならではの歓迎行事が催され、リラックスできたと、大変喜ばれたそうです。種子島宇宙センターの特徴の一つは「歴史とおもてなし」だと、島の人情を讃えた言葉が印象的でした。

展示物を解説する藤田所長(中央)

展示物を解説する藤田所長(中央)