9 招魂碑と玉川(2018年1月号)

 明治維新150年の今年、各地でさまざまな催しがあります。明治維新の英傑・西郷隆盛といえば、西南戦争で戦死した人々の霊を慰める「玉川招魂碑」が東町公民館のすぐ東に立っています。
 案内板によると、明治10(1877)年、西郷が鹿児島私学校生を率いて新政府と戦った西南戦争で、西郷を慕って種子島からも多数参加しました。当時、種子島には鹿児島私学校の分校にあたる種子島私学校がありました。同年2月8日、赤尾木(現・西之表市街)に島内各地から集まった386人が軍艦寧静丸に乗って鹿児島に向かったそうです。
 一行はまず、赤尾木港に面した旧慈恩寺跡に集まり、玉川橋から小牧坂、桃園、川氏、西俣、現和を経て東海岸にある田之脇の港に着きました。翌9日早朝に出港し、鹿児島港に到着後、各隊に振り分けられます。
 同月15日に鹿児島を出発し、熊本で激戦となり、9月24日に官軍による城山総攻撃で西郷が自決し、この内戦は終結しました。薩軍の戦死者約7千人のうち種子島人は108人でした。
 招魂碑は生存者らが明治13年に建立。春、夏、秋の3回、慰霊祭が催されました。大正10(1921)年から夏祭り(六月灯)を黒山(今の東町)青壮年会が受け継ぎ、現在は東町町内会が引き継いでいます。
 今は暗渠(あんきょ)となった玉川のほとりには旅館もありました。川に入って、石垣の穴を狙ってウナギを釣った少年時代が懐かしく思い出されます。

玉川招魂碑

玉川招魂碑