7 鉄砲伝来の縁と交流(2017年11月号)

 西之表市の鉄砲隊(種子島火縄銃保存会)は毎年、島外各地に招かれて轟音を響かせています。この10月は滋賀県長浜市と大阪府堺市に出かけました。どちらも種子島に伝わった火縄銃の一大産地として発展した都市で、西之表市と友好都市盟約を結んでいます。
 日本への鉄砲伝来は、江戸初期に禅僧南浦文之が編んだ「鉄炮記」などの資料によると、1543(天文12)年、門倉岬に漂着した明国船に乗っていたポルトガル人がもたらしたとされます。
 第14代島主種子島時尭は、火縄銃の模作を刀鍛冶・八板金兵衛に命じました。また、火薬の製法は笹川小四郎に命じ、2人とも苦心の末に任務を果たし、初の鉄砲国産化が成就しました。火縄銃は種子島から日本各地に伝わり、戦争の形を変え、日本史の大きな転換点となりました。
 それから470年余の歳月が過ぎ、立役者である八板金兵衛が美濃の関(現在の岐阜県関市)出身であることは、関市でも種子島でもほとんど知られなくなっていました。そこへ、金兵衛と娘・若狭の物語をもとにした鉄砲伝来音楽劇「海波の音」が市民団体「関音楽劇の会」によって昨年2月に関市、8月に西之表市で上演され、両地の縁が再び浮上することになりました。
 昔の城の浜あたりを見下ろす丘に「若狭」墓地があります。国道58号が甲女川を渡る天神橋に近い砂丘の一角です。
 ここにこの夏、「海波の音」種子島公演記念碑が建てられました。
 鉄砲の縁は脈々と続きます。
 

「若狭」墓地。「海波の音」公演記念碑も加わった

「若狭」墓地。「海波の音」公演記念碑も加わった