6 戦艦大和が眠る海(2017年10月号)

 西之表港と東シナ海を望む夕暉が丘に「大和夕暉が丘平和の塔」の石柱が建てられたのは2001(平成13)年のことです。
 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月、戦艦大和は大隅海峡を通過し沖縄に向けて東シナ海を航行中、米軍艦載機の攻撃を受けて多くの将兵とともに沈没しました。
 春分の日と秋分の日、西之表の真西に太陽が沈みます。視界のいい日には馬毛島の向こうに竹島、硫黄島が望めます。そのさらに先、西之表の西方約280キロの海底に大和は今も眠っています。
 種子島、屋久島から硫黄島などの三島、トカラ列島、奄美群島、沖縄、宮古、八重山諸島へと連なる島々は、第二次世界大戦終結のとき、北緯三〇度以南が米国の占領下に入りました。1952(同27)年に北緯二九度以北のトカラ列島(現在の十島村)が日本に返還され、翌53年には北緯二七度より北に位置する与論島までの奄美群島が返還されました。沖縄返還はさらに十九年後の72(同47)年を待たねばなりませんでした。
 敗戦国日本の九州、四国、本州、北海道などの本土が復興の道を進むなか、激しい地上戦を経験した沖縄をはじめ占領下の島々は、苦難の年月を歩みました。
 比較的本土に近い種子島は、火縄銃伝来の地であり、現在はロケット打ち上げ基地を有します。時代の最先端技術は戦争との関わりをもつことも少なくありません。私たちは、大和と 将兵の眠る海を眺め、鎮魂と平和を求める心を失わぬようにと願います。

東シナ海に沈む太陽と馬毛島、硫黄島、竹島

東シナ海に沈む太陽と馬毛島、硫黄島、竹島