3 舫い石の百六十年(2017年7月号)

 赤尾木港と呼ばれた旧西之表港に一対の防波堤「沖の岸岐(がんぎ)」と「築島(つきしま)」があります。第二十三代島主種子島久道の夫人・松寿院が夫の死後、名跡(みょうせき)として島政を預かった幕末、石組みで築造されました。今は漁船の船溜まりを守り、港町の歴史をしのぶシンボルとして二〇一〇年、西之表市指定文化財となっています。
 赤尾木港は南海交通の要所でしたが、暗礁があり、冬の強い季節風で海が荒れ海難事故が多発しました。松寿院は父の薩摩藩主・島津斉宣に頼んで千二百両の援助を受け、港の改修工事をしました。浦々の船主や船子が総出で一八六〇(万延元)年に着工し、六二(文久二)年まで足かけ三年、難工事の末に完成しました。
 岸岐(長さ七五・六メートル、幅二一・六メートル)は、荒波を受け流すなだらかな曲線が優美です。干潮時には、岸岐のすぐ内側に、にょっきりと太い石柱が現れます。船を繫ぎ止めた舫(もや)い石です。
 驚いたのは、石柱の表面に刻まれた筋です。石柱は水面下の岩瀬に突き立てられています。石工らが集めた石材を船で運び、海底から丁寧に組み上げました。舫い綱が潮の干満で上下動し、波に揺れてギーギー張っては緩む。摩擦し、硬い石に溝を掘り込んでいく……。
 それから約百六十年、舫い石は港の盛衰を見続けてきました。水平線に沈む夕日は、港に岸岐のシルエットをかざします。種子島に生きた先祖の血と汗の結晶であり、私たちの誇りです。

岸岐(左)沿いに立つ舫い石

岸岐(左)沿いに立つ舫い石