鹿児島県 種子島 西之表市  
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 鉄砲伝来
 
  

 1543年(天文12年)8月25日,九州南方の種子島にやってきた一隻の中国船に,ポルトガル人フランシスコ・ゼイモトが便乗していた。彼の持っていた鉄砲に着目した時の島主種子島時堯は,金2,000両を投じてこれを譲り受け,使用法を教わる。鉄砲の威力を知った時堯は,種子島在住の鍛冶・八板金兵衛清定に命じて早速その複製をつくらせた。これより鉄砲の製作は,またたくまに全国にひろがり,やがて滋賀県国友や,大阪府堺などで大量につくられるようになった。  

 鉄砲が種子島に伝来した当時,日本は各地に群雄が割拠する戦国時代であった。いち早く鉄砲の戦略価値に目をつけた織田信長は,1575年(天正3年)5月21日,長篠の戦いに数百挺の鉄砲対を編成,武田勝頼の騎馬隊と対峙して,圧倒的な勝利を得た。新兵器の出現で,これまでの戦闘方式を一変したことを知った群雄,武将は,急いで鉄砲の調達につとめ,国内の鉄砲鍛冶が盛んになった。一挺の鉄砲が種子島に伝来してから約30年,驚くべき速度で普及したのは,日本の鈑金技術がきわめてすぐれていたことを示すもので,外国にこのような例はみない。

▲現在でも種子島鉄砲まつりなどで火縄銃の試射が行われている。
   
▲ポルトガル伝来銃・・・鹿児島県指定文化財
▲伝八板金兵衛清定作 国産第1号の火縄銃
 ・・・西之表市指定文化財

 鉄砲は,中世ヨーロッパにおいて興隆しつつあった科学技術によってつくられた機械(マシーン)である。これが1543年ポルトガル人によって種子島に伝えられたことは,わが国にとって3つの意義がある。
 まず第1は,唐,天竺までが世界だと思っていた日本人に全く人種も宗教も異なったヨーロッパという国々が存在するといった,世界地理に対する認識を持たせたことである。
 第2には,中国文化を唯一最大のものとして敬意をはらってきた日本人が,全く異質であるヨーロッパ文化にはじめて接触したことがあげられよう。
 そして第3は,ヨーロッパにおける科学技術の生み出した作品である鉄砲を知ったことである。同時にこれを直ちに製作し得たのは,科学技術がヨーロッパ人の特性でなく,普遍的なものであることの立証でもあったことである。
 事柄は,ただ鉄砲を真似して製作したということかもしれないが技術的には,近代工作機械のない時代に,捲成法によって鉄のパイプをつくる技術を知ったことと,今日の機械器具に欠かすことができないネジの作用を,初めて知ることができたことは,科学技術史上重要なことであった。
 ただ,江戸時代における社会制度が,これらの技術を秘事・秘伝として,公開をはばんできたことから,鉄砲伝来によって知り得た技術が,他にほとんど影響を与えることのなかったことは,日本人の国民性とはいえ残念なことである。
 しかし,明治以後における日本の近代化といった国家目標が,ヨーロッパの科学技術の導入に始まったとするならば,1543年8月,種子島において引かれた火縄銃の轟声こそ,日本近代化の幕開けを告げるものであり,この南海の小島にまかれた種子が近代日本にまで成長したといえるのではないだろうか。

 資料
  「鉄砲伝来前後」ー種子島をめぐる技術と文化ー
      井塚政義・飯田賢一 監修 
      種子島開発総合センター編 <有斐閣>

 ■問い合わせ先
  種子島開発総合センター
  電話 0997−23−3215