羽生慎翁の花絵図

羽生慎翁の花絵図

 歴代島主は上方文化を摂取することに努めたが、なかでも、12代島主忠時(室町時代)が最も顕著である。
 例えば、大的はじめ、連歌師宗碩との交流や千利休との交流、「蹴鞠」「乗馬」「郷土芸能」などが堺を経由して、持ち越された上方文化である。
 ところで、種子島の花道の起源は詳らかでないが、羽生道潔が寛政4年(1792)約200年前には既に入門している。
 この花絵図は木版による花道教本で、一部に元禄5年3月8日の銘を見る。木版画にさらに繊細に加筆、彩色が施され、美術資料としても貴重である。恐らく道潔が買い求め、手本としたものであろう。花材、花瓶、生け方など、300年前の人々の美意識の高さが伝わってくる。

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