建物の由緒

月窓亭外観1

 この建物は羽生道潔(1768年~1845)が27歳の時、今から200年以上前の寛政5年(1793年)に建てたものである。 庭の中心にあるイヌマキの大樹の下にこの家の構築物と考えられる石組が認められ、このイヌマキも樹齢約200年程度と思われる。

 

  羽生家は、種子島家の家老で養蚕業の普及や「種子島家年中行事」を編集した羽生道潔や、池坊大日本総会頭職を務めた羽生道則(慎翁)などを輩出した名だたる名家であり、このお屋敷で、武道や茶道、花道、礼法などの修業が盛んに行われました。


  道潔の孫羽生慎翁も同様にこの住宅で茶道・花道などの修業を重ねるが、慎翁は、薩摩・大隅総会頭職、大日本総会頭職などを歴任することにより、鹿児島、東京での生活が中心となっていく。

月窓亭外観2

  一方、明治という新しい時代の流れの中で、旧家臣たちは27代守時公を種子島へ迎え入れるため、屋敷探しに奔走するが、明治19年羽生慎翁のこの旧第に迎え入れることになる。
 以来、平成12年まで種子島家住宅として使用されたが、所有者が転居することとなり、西之表市が購入したものである。

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